< 心 の 鏡 >

明治25年4月 河野智眼 著


凡そ此の世へ生まれては 貴賎貧福おしなべて
無病長生き銭金を 誰しも願う事なれど
病身夭死貧乏を いやでするのは何故ぞ
前世に我身が蒔置し 種が此世へはへるなり
釈迦牟尼如来の御身にも 三つの御難を受給ふ
孔子や孟子の聖賢も 時にあわねば是非のなし
是が因果の掟なり 誰しも我身の苦と楽は
前世に蒔し種なれば 今作す業の善悪は
後世の苦楽の種ぞかし 悪種を蒔ぬ用心は
偽りいはぬにしくはなし 若しも人目をかぎるとて
口と心がちがひなば 早く心をあらためよ
悪事をかくしてよいように 一目はかぎりて済すとも
神と仏と心とに 問はればいかが答べき
此神国に生まれては わけて正直第一に
かげとひなたのなきように 物事律儀でひかへめに
唯正直にしくはなし 然れば強て祈らずも
神仏守り給ふべし 神や仏に守られて
無病長生安穏に 子孫繁昌福徳の
種まくやうに心せよ 因果の道理を信ずれば
我身の上も人の身も 鏡にうつして見るやうに
過去も未来も見るなり 此世で銭金持つ人は
前世の種のよかりしぞ 前世で善種かまざれば
此世で貧苦にせまるなり 此世で慈善をせぬ人は
未来で貧苦に逼るなり 三世はたとへば目の前に
遅き早きはあるとても 善悪因果はうごきなく
毛筋も違わず報なり 利口で高貴に成るならば
鈍なる人は皆貧か 鈍なる人にも富貴あり
利口な人も貧をする 貧乏で子供が多あり
富貴で子供のなきもあり いづれも前世の種次第
我慢や力や銭金や 権威づくにはなりがたし
富貴に大小ある事は なさけに大小あるゆえぞ
又貧賤の大小も 非道に大小あるによる
善悪二つにまく種は 貧福二つにはへわかる
凡そ因果の理を知るに 小因大果といふ事を
能々心にゑとくせよ たとえば一粒まく種に
実を数多くむすぶぞよ 少の罪をもおそれねば
報ふ苦患はかぎりなし 作す善根は少にて
多くの幸うることも なぞらへ知て用心し
小善とてもすてず積め 悪は根を断ち葉をからし
善の芽ざしに土かひて 栄ん事を願ふべし
かかる謂われをわきまえず 大罪ばかり科と知り
少の罪は常として とどむる心なき時は
水のしたたりいつの間に 流れて大河と成ごとく
小罪とてもおそれねば 終に地獄の業となる
少の善もつもりては 無量の果報得る事も
是になぞらへ知りぬべし 聖人孔子も此わけを
易といふ書に説給ふ 人となる身を思ひなば
慈悲善根の種をまけ やるも貰も因縁ぞ
貧賤富貴のありさまは 皆是浮世の習なり
今貧賤のその人は むかし長者と思ふべし
富貴も永くつづかねば さかんに暮す其内に
慈善の事をなしをかば 貧になりても名は残る
金銀田畑山林を いかほど貯おくとても
衰へぬれば人の物 欲にかぎりのなきものぞ
あればあるほど足らぬもの よく足事を知れよとの
仏のをしへをわきまへよ 無理して溜めたる金銭は
人の恨みのかかるゆえ 却って子孫のあだとなる
升や秤や算盤や 筆の先にて無理するを
愧ておそれて慎めよ 美目はよくても富貴でも
虚言ほど人の瑕はなし 高き賤きおしなへて
人はみめよりただ心 正直柔和といはるるが
上なきてがらと思べし 士農工商それぞれの
家業大事に勤るが 即ち国への忠義にて
先祖や親への孝となり 其身も生涯安楽ぞ
物事非道をするものは 一生人ににくまれて
死ぬれば餓鬼や畜生や 修羅や地獄におつるなり
おのおの栄花に暮すのは 前世に蒔きしよき種と
家業大事に勤むるも 先祖の苦労の御蔭なり
親は物ごと子の為と 幼時より身にかへて
子の為ばかりはかれ共 子供の性根あしければ
親の心は闇ならで 子ゆへに迷ふ親達は
世間におほく見るぞや それに子供は愚にて
大恩ありと知りながら 恩を報ずる心なく
とかく不孝をするぞかし 博奕打たり盗んだり
又は悪所へ通ふては 身の分限をわすれはて
放埒尽せしあげくには 政府の咎を蒙りて
親類組合所まで 難儀をかけるのみならず
我身の上はちりちりに 田畑家財屋敷まで
他人の物となりぬれば 親の嘆きは幾許ぞ
不孝といふもあまりあり 鳩にも三枝の礼はあり
烏も反哺の孝あれば 親に不孝な子供こそ
烏や鳩にも劣るぞや 親を持たる人々は
なるだけ身持大切に 父母へ孝道怠るな
あわれ人々目をふさぎ つくつく考へ見給へや
いかなる大福長者でも 時節来たれば是非もなし
金銀財宝妻子まで 捨て冥途の旅にたつ
めいどの旅立ちする時は 耳も聞こえず目も見えず
行衛もしれぬ死出の山 闇路に迷ふぞあわれなる
此時一生作りにし 罪過業がむくひきて
病苦や死苦に責られて 七転八倒する時に
いかに後悔するとても さらにかへらぬ事ぞかし
後生はてんでの稼にて 助合力はならざれば
とかく命のある内に 後生の大事を忘るるな
人の命のもろき事 草場の露にことならず
今宵頭痛が仕初て 直に死病となるもある
今朝は機嫌のよき人が 暮に頓死をするもあり
今日は他人を送りしに 明日は我身が弔われ
妻子財宝此身まで みな是無常の物なれば
よくよく心に合点せよ 無常無常とみな人が
口にかしこくいひ乍ら 心に確かにしらぬゆへ
俄に無常にさそわれて 可愛孫子におくれたり
いとしいつまにわかれては 世になき事のある様に
ともに消えたき思ひにて やるかたもなき悲さに
尼法師にもなるべしと かなしみ思も過ぬれば
いつしかそれも忘れ果 程なく元のもくあみと
なるのみならず更に猶 放逸邪見を超すなり
早く御法を聴聞し 未来佛果に至るべし
横病横死の難もなく 生涯無事に日を送り
定期の命存分に 持て此身の終りには
弥陀の本願あやまたず 極楽浄土に生るれば
六神通をさとり得て 生々世々の父母や
孫や子供や親類を 自由自在に済度して
煩もせず年よらず 死ぬる事なき身となりて
その安楽はかぎりなし 此世は堪忍世界とて
とかく心のままならず 殊更老少不定にて
明日の請合ならざれば 永い未来の浮き沈み
知識を求め用意せよ 冬のわた入夏ひとへ
三度の食の用意をば 忘れず調へ置身にて
一大事なる臨終の 用意忘るる愚さよ
来世といへば皆人が 程あるやうに思へ共
吹息一つかへらねば その場が直に未来ぞや
此度苦界をはなれずば 再び時節はなかるべし
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏






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