< 芭 蕉 語 録 >



俳諧といへども風雅の一筋なれば
姿かたちいやしく作りなすべからず。


乾坤(天然自然)の変(変化)は風雅の種(素材)なり。


俳諧といふに三あるべし
華月の風流は風雅の躰(本体)なり
をかしきは俳諧の名(名目)にして
淋しきは風雅の実(内実)なり。
この三の物に及ばざれば
世俗のただ言となりぬべし。


俳諧は三尺の童(七、八歳の子供)にさせよ。


見るにあり、聞くにあり
作者感ずるや句となる所は、即ち俳諧の誠なり。


俳諧はなきと思へばなきものなり。
あるべけれども、尋ねあてざると思ひて案じ侍れば
沢山にて尽きず。


旅は風雅の花、風雅は過客(旅人)の魂。
西行・宗祇の見残しは、皆俳諧の情なり。


なら茶三石喰うて後、はじめて俳諧の意味をしるべし。


高く心を悟りて俗に帰るべし。


古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ。


松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ。


新しみは俳諧の花なり。
古きは花なくて木立ものふりたる心地せらる。


ついに無能無芸にして、ただ此の一筋に繋がる。


西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における
利休の茶における、其の貫通するものは一なり。
しかも風雅におけるもの、造花にしたがいて四時(四季)を友とす。
見る処花にあらずといふ事なし。
おもふ所月にあらずといふ事なし。


花に対して信なくんば、花うらみあらん。
句は是にならふべし。
花に問へば花かたることあり。
姿はそれにしたがふべし。


心に風雅あるもの、ひとたび口にいでずといふ事なし。


予が方寸(理屈)の上に分別なし。


風雅に理屈なし
理屈はおのれがおのれが(各自)心の理屈なり。


俳諧は気に乗せてすべし。


発句の事は行きて帰る心の味はひなり。


喪に居る者は悲しみをあるじとし
酒を飲むものは楽しみをあるじとす。


格に入りて格を出ざる時は狭く
また、格に入らざる時は邪路にはしる。
格に入り、格を出てはじめて、自在を得べし。


俳諧は吟呻の間の楽しみなり。
これを紙に写す時は、反古(紙屑)に同じ。


俳諧は、教えてならざる処あり。能く通ずるにあり。
或る人の俳諧はかつて通ぜず。
ただ物をかぞへて覚ゆるやうにして、通ずる物なし。


俳諧ニ古人ナシ タダ後世ノ人ヲ恐ル。


耳をもて俳諧を聞くべからず
目をもて俳諧を見るべし。


句は天下の人にかなへる事はやすし。
ひとりふたりにかなへる事かたし。
人のためになす事に侍らばなしよからん。


句の姿、さのみ(それほど)変るにもあらで
人々の腸(はらわた)をしぼる所
聞く者の好く好かざる(好き嫌い)ものにとれて
無下の心のごとく聞きなし侍らんは本意なし(残念である)。


腹に戦ふもの、いまだあり。


思ふに余念なき俳諧の事なるべし。


俳諧を嫌ひ、俳諧をいやしむ人あり。
ひとかたあるものの上にも、道をしらざる事には
かかる過ちもある事なり。
その品何にもせよ、俳諧ならざる事、さらになし。
その人、その俳諧をして、事をさばき、事をたのしむ。


多年俳諧好きたる人より、外の芸に達したる人
はやく俳諧に入る。


凡そ、物を作するに、本性をしるべし。
しらざる時は、珍物新詩に魂を奪はれて、外の事になれり。
魂を奪はるるは、その物に著する故なり。
是を本意を失ふといふ。


凡そ、修行は、我が得る処を養ひ、得ざる処を学ばば、次第にすすみなん。
得る処になづんで外をわすれば、終に功を成すべからず。


案ずるばかりにて出づる筋にあるべからず。
つねに勤めて、心の位を得て
感ずるもの動くやいなや句と成るべし。


心の作はよし。詩の作は好むべからず。


季節の一つも探り出だしたらんは、後世によき賜。


其の日は雨降り、昼より晴れて、そこに松有り
かしこに何といふ川流れたりなどといふ事
たれたれもいふべく覚え侍れども
黄奇素蘇新のたぐひにあらずばいふ事なかれ。


なほ栖(すみか)をさりて器物のねがひなし。
空手(無一物)なれば途中の愁ひもなし。
寛歩駕にかへ(駕籠に乗るかわりにゆっくり歩き)、晩食肉よりも甘し。
とまる(泊まる)べき道にかぎりなく立つべき朝に時なし。
只一日のねがひ二つのみ。
こよひよき宿か(借)らん、草鞋のわが足によろしきを求めんとばかりは
いささかのおもひなり。


底のぬけたるもの、新古の差別なし。
昨日今日、また明日と流行して、一日も足をとめず。


今日より我が死後の句なり。
一字の相談を加ふべからず。


朝を思ひ、また夕を思ふべし。


物の見えたる光、いまだ心に消えざる中にいひとむべし。


謂い応せて何かある。


心の味をいひ取らんと、数日腸(はらわた)をしぼる。


句々、さのみ念を入るるものにあらず。


発句は、句つよく、俳意たしかに作すべし。


虚(想像)に居て実(真実)を行ふべし。
実に居て、虚にあそぶ事はかたし(難しい)。


俳諧といふは別(格別)の事なし。
上手に迂詐(うそ)をつく事なり。


句調はずんば舌頭(舌の上で)に千転(千回口ずさみ)せよ。


発句は屏風の画と思ふべし。
己が句を作りて目を閉ぢ、画に準(なぞ)らへて見るべし。
死活おのづからあらはるるものなり。


発句は取り合はせ物と知るべし。


発句はただ金(こがね)を打ち述べたる様に作すべし。


上手になる道筋たしかあり。
師によらず、弟子によらず、流によらず、器(器量)によらず
畢竟句数多く吐き出だしたるものの
昨日の我に飽きける人こそ、上手にはなれり。


俳諧の益は俗語を正すなり。つねに物をおろそかにすべからず。
この事は人のしらぬ所なり。大切の所なり。


この句、<風雅も師走>と、俗とひとついひ侍る。
是先師の心なり。


工(たく)みていへる句にあらず。
ふといひて、宜しと後にてしりたる句なり。


心遣はずと句に成るもの、自賛にたらず。


外のわる功をしらず、おのづからかかる句も出で来れり。
まことに手筋(素質)を尊むべし。


花はいくつもあるべし。
そのうち雅なる物を撰び用ゆるのみ。


未来の句をするといへば
未練(未熟)のものは途方もなき様におぼえ侍れども
眼前にしれたり。


この句、いま聞く人(理解する人)あるまじ。
一両年(あと一、二年)の待つべし。


ざれたる句(戯れた句)は作者によるべし。
まづは実体(実直)なり。


門人この道にあやしき所を得たるものにいひて遣はす句なり。


さびは句の色なり。
閑寂なる句をいふにあらず。


句位は格の高きにあり。


しほりは憐れなる句にあらず。
細みは便り(頼り)なき句にあらず。
しほりは句の姿にあり。
細みは句意(句の心)にあり。


しほりは自然の事なり。
求めて作すべからず。


物によりて思ふ心を明かす。
その物に位(品位)をとる。


一句に季節を二つ用ゆる事
初心の成りがたき事なり。
季(季語)と季のかよふ処あり。


季を取り合わはするに句の古びやすき煩ひあり。


発句も四季のみならず、恋・旅・名所・離別等
無季の句ありたきものなり。


字余りの句作りの味はいは、その境に入らざればいひがたし。


我、俳諧において、或は法式を増滅する事は
おほむね踏まゆる所(根拠)ありといへども
今日の罪人たる事をまぬがれず
ただ以後の諸生(門弟)をしてこの道にやすく遊ばめしんためなり。


俳諧に思ふ所あり。
能書の物書けるやうに行かむとすれば初心道を損ふ所あり。


故ある句は格別の事なり。
さもなくて聞き得ざるとあるは
聞えぬ句と思ふべし。
聞えぬ句多し。


我が徒の文章は、慥(たしか)に作意をたて
文字はたとひ漢章をかるとも
なだらかに言ひつづけ
事は鄙俗(ひぞく・野暮・俗っぽい)の上に及ぶとも
懐かしく言ひとるべし。


世上、発句案ずるに、皆題号(題材)の中より案ずる、是なき物なり。
余所より求め来らば無尽蔵ならん。
たとへば題を箱に入れ置き
その箱の蓋に上りて乾坤(天地)を広く尋ぬるものなり。


句においては、身上を出づべからず。
もし身外を吟ぜば、あしくば害を求め侍らん。


心のいさましきを、句のふりにふり出だして
呼ばれん初しぐれ、とはいひし。


絶景にむかう時は、うばはれて叶はず。
ものを見て、取る所を心に留めて消さず
書き写して静かに句すべし。
うばはれぬ心得もある事なり。
その思ふ処しきりにして
なほ叶はざる時は、書き写すなり。
あぐむべからず(嫌気を起してはいけない)。


東海道の一筋しらぬ人、風雅におぼつかなし。


品川を踏み出したらば、大津まで滞りなくあゆめ。


からびたるも、艶なるも、たくましきも、はかなげなるも
おくのほそ道みもて行くに、おぼへずたちて手たたき、伏して村肝を刻む。
一般は蓑をきるきる、かかる旅せまほしと思ひ立ち
一たびは坐して、まのあたり奇景をあまんず。


発句は門人に中、予におとらぬ句する人多し。
俳諧においては老翁が骨髄。


他の句より、まづ、わが句にわが句
等類する事をしらぬものなり。
よく思ひわけて味ふべし。
もし、わが句に障る他の句ある時は
必ずわが句を引くべし。


俳諧書の名は
和歌・詩文・史録・物語とたがひ、俳諧あるべし。






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