< 原 子 力 神 話 U >


〜 安い電気を供給するという神話 〜

たいへん巨大な設備投資を要し
技術開発も要するうえに
放射能に対する非常に堅固な防護を必要とします。
さらに、その背景には核拡散という複雑な問題を抱えています。
そのため、商業資本がこれを産業化できないという長い期間がありました。
それを、政府の原子力志向の強力な政策という国家的戦略と国家的保護によって
なんとか産業化してきたというのが
これまで述べてきた歴史からおわかりだと思います。

安い電力という神話は、ご本尊というか
元祖である本家本元のアメリカにおいては
非常に早い時期に崩れています。

原子力発電が実際に商業的な発電として
社会的にある程度確立してくるにつれて
むしろ原子力の不経済性ということがはっきりしてきて
原子力そのもののさまざまな先行きに対する不安が見えてきたのです。

1974年、これはスリーマイル島原発事故の5年前に当たるわけですが
この頃からすでに原発の新しい発注というのがガタッと落ち込んでいます。
そして79年、スリーマイル島事故の年には
完全に原発の発注はゼロになっています。
日本では70年代の初めから半ばにかけて
石油危機が一挙に盛り上がりを見せた、そんな時代です。

企業側が原子力をやるかやらないかということは
基本的に市場経済の原理に乗るかぎりにおいては
それが安くて商売になるかどうかという問題につきるわけです。
倫理的問題であるとか社会的問題ということは企業にとっては二の次で
要するに、儲かればやるということになるでしょう。
しかしながら、企業を含めたこれまでの世界の原発の方向から判断して
純粋に市場経済の場に供せられた原発は成り立たなくなってきた
というのが現状だと思います。

概して言えば、電気料金は安くなる方向にあります。
それは、いわゆる規制緩和、電力事業の自由化と言われる流れの中で
おのずと今までの日本の9電力
(北海道電力・東北電力・東京電力・中部電力・北陸電力・関西電力・中国電力・四国電力・九州電力)
沖縄電力を入れれば10電力ですけれども
9電力によってブロック化され
地域独占が敷かれていた体制が崩れざるをえなくなってきたということです。
それは日本国内の産業界からの
「日本の電力は高すぎる。より安い電力を」というプレッシャーと
海外からの、とくにアメリカでしょうけれども
日本電力事業の開放という圧力にも勝てなくなってきたという事情によるもので
やはり大きいのは電力自由化の流れでしょう。

経済性を重視して
その経済性のなかで電力需給が決まっていくという枠組みの中で
議論がされるかぎりにおいては
非常に無理をして、莫大な資本投入をして長期的な計画のもとに
巨大な原子力発電所を建てる
さらにこれにともなう廃棄物問題や廃炉の問題など
さまざまな問題を抱えこまなくてはいけない原子力は
競争力がなくなっていくだろうということを
昨今の自由化論争のなかで
電力会社側自ら述べているのです。

安いか高いかは
ふつうだったら企業が判断していけばいいことですけれども
通産省が、どうしても原子力は安いんだということを
私に言わせれば電力会社に押し付けようとしています。
これがまさに神話の神話たるゆえんかもしれませんが
通産省が先頭に立って旗を振って、原子力推進を促している
そういう構造がよく見えます。

40年間原発が80%の稼働率で稼働し続けるというのは
あまりにも極端な仮定だという気がします。

青森県六ヶ所村再処理工場の建設費が当初の7600億円から
現在ではその3倍に近い2兆1000億円になっているということを考えても
それらをきちんと再処理経費として組み入れるならば
それだけで少なくとも1キロワット時当たり1円は高く見積もらなくてはなりません。

政府が税金を使って地域を振興させていることについても
原子力関連経費として組まなければいけないはずです。
これはそもそもおかしな話で、本来の地域振興ではなく
原発立地を可能にするために費やしているお金と考えられますから
当然、原子力関連経費に含めなくてはいけません。
さらに政府のお金だけではなく
電力会社が使っている各種の原発立地対策費や膨大な宣伝費もあります。
このような費用が、この経費のなかには入っていません。

通産省チャンネル以外にも
科学技術庁チャンネルからも巨額の原子力開発費用が出ています。
こういう費用も含まれていないのです。
純粋に民間の産業と考えるならば
当然民間企業が原子力のコストとして担うべきさまざまな経費
これはJCO事故のときにも経験したことですが
たとえば対策費用として1200億円の予算を
急遽政府は組まなければならなかったわけです。
こうしたいろいろな費用を含めて、政府は予算のなかに組み込んでいません。
これらを組み込むと、少なくとも2円(1キロワット時)くらいはアップしてくるでしょう。

JCOの事故を見ても、原子力産業全体のなかでも
今まで政府や産業がお金をかけてこなかった弱い部分から
大きな事故が起こったことが明らかになりました。
もし仮に原子力をやるなら、そういう部分をきちんと立て直して
原子力産業をあらゆるミスや、ちょっとした破綻から大事故にならないように
すべての面にわたって管理を行きわたらせて
防災体制も確立し、賠償の耐性も確立するのでなければなりません。
むろんそうなれば
原子力の「経済神話」は完全に崩壊するであろうことは明らかであると思います。


〜 地域振興に寄与するという神話 〜

原発はそれ自身が地域にとって直接プラスになる製品を生み出すような
地域を豊かにする施設ではありません。
ほとんどの場合、原発はそこの地域では消費しない電力をつくり出しています。
そこでつくられて、遠方の都会などの巨大な消費地帯に
送電される構造になっているわけですから
原発は地域にとって生産的施設ではありえません。

ある種の迷惑施設であり
それに付されるお金は迷惑料であるかもしれません。

「原発は地域振興に寄与する」という神話も
かなりメッキが剥がれてきたわけですが、なかなかそうは言っても
いったん原発を誘致して金漬けのシステムのなかに
地域社会が取り込まれてしまうと
そこから抜け出せないという蟻地獄のような構造を持っています。

原発を受け入れた地域自身が
地域振興であるとか過疎地対策という理由で原発を受け入れてきたにもかかわらず
ある段階まできてみると
むしろ原発を放射能の集中する迷惑施設だと見ていること
しかも原発による地域振興が十分になされていないと実感するようになったのが
現実だと思うのです。

今までは原発は国策であるから行政には逆らえない
その代わり
もっといろんなところに予算をつけよといった要求でしか出されなかったものが
ここでは原子力政策そのものを問い直せ
そうでないかぎり地域は納得しないと
公式に地域の自治体の代表が言うように変って来ています。
あるいは言わざるをえなくなったのですから
それだけ地域住民の原発に対する立場も態度もかわってきたということでしょう。

1996年、新潟県の巻原発の立地をめぐって住民投票が行われ
反対派が勝利して事実上、巻原発計画はこれによって中止されることになりました。
巻町で争われたことを見ても
やはり原発そのものが本当に地域にとってプラスになるものかどうかが議論され
地域住民の声がきちんと表に出て
地域にとって原発はプラスにならないという結果が出されたわけです。
原発の推進側はこの巻町に入り込み
原発が落としてくれる金の魅力について全力を挙げて大いに宣伝したわけですし
原発の必要性とか安全性といった各種の神話を繰り返したわけです。

原子力発電所が地域のためにお金になるには
一つには原子力発電所は非常に大きな施設ですから
当初は巨額の固定資産税が落ちるためです。
それから建設の過程
および建設後も運転維持のために一定の地元労働力を雇用するために
労働力の吸収効果があります。
それにともなって、周辺地域の商業や建設業等が栄えると期待されるわけです。
けれども、それらは必ずしも十分ではないのです。
原子力発電所が迷惑施設と言われるネガティブな側面
たとえば危険性やイメージとしてのネガティブな側面
とくに今回JCOの事故があって明らかになったことですが
潜在的にその原子力施設を抱える地域の人々の大きな不安という
そういう側面を打ち消すだけの大きなものにはなりません。
そのために、電源三法交付金というシステムがあって
法的に原子力施設の大きさに応じて、あるいはそこで生産した電力の大きさに応じて
地域に対して一定のお金が交付金とか補助金としておりるようになっています。
また、日本の原発はだいたい海辺に建てられますから
漁業権の消滅にともなう補助金が地元に支払われます。
ただ、電源三法交付金という非常に大きなお金が地元に落ちるのは確かですが
その交付金は、原子力発電所が建ってしまうと終ってしまう性格のものです。

原発そのものは、その周辺に別の産業を呼び起こすとか
地場産業を復興させるといった
本来的な意味での地域振興効果はまったくもたないということです。
それどころか、逆立ちした効果しかもたらしません。
これは私が原子力産業会議の基調報告でも述べたことですが
そういった問題こそが非常に大きいと思います。
原子力発電所は非常に巨大なシステムで
たとえば年間予算が数十億円規模の地域の一画に
一基4000億円とか5000億円という原発が何基も建つとしたら
地域のなかに原発が建っているというよりは
原発のわきに地域が付属しているような、極端に言えばそういう構造の
原発依存型の地域しか出来上がらないことになります。
そのために、本当の意味での地域の振興が遅れてしまうというか
むしろ衰退してしまうという、そういう側面があります。

ひとたび原発が建てられれば他の産業が逃げ出してしまう傾向がありますから
それを維持しようと思えば
さらにもう一つ原発を建てるというふうにやらざるをえないわけです。
私はこれは地域振興というよりは、地域に対する「麻薬効果」だと言っています。
要するに”切れればまた打つ”という、やむにやまれぬメカニズムなのです。
したがって、福島、新潟、福井という三県の知事による提言を紹介しましたが
あのように、同じ自治体にどんどん原発が集中していくことになります。
福島、新潟、福井の三県で、日本の約六割の原発が集中してしまいました。


〜 クリーンなエネルギーという神話 〜

日本の場合には、原子力産業に加えて
日本政府・通産相がこの神話を後押ししたので
いわば地球温暖化防止のためのエースというかたちで
国際的な規模でキャンペーンが行われました。
これは世界的にはきわめて異例なことで、国単位でキャンペーンが張られたり
こういうポリシーがとられたりすることは、ほとんどありませんでした。
これは、いかに通産省が原発を国策としてやろうとしているかの
現われであると言えます。

原発を一基や二基増やすよりも
たとえば自家用車に乗る回数を三回から一回に減らしたほうが
よほど二酸化炭素の抑制効果があるのだということが
最近の計算によっても示されています。

エネルギー全体のなかにおける電力として消費されるエネルギーの割合を
電力化率といいますが、原子力の比率が上昇するのと比例するように
70年代には30%そこそこであった電力化率が、最近は40%くらいになってきました。
これは一見、社会が便利さの方向に進んでいると見えるかもしれませんが
むしろ、原発のような巨大設備がいくつも建てられ
稼働率を上げることによって、電力が過剰気味になってきた結果なのです。
過剰な電力を消費するための
さまざまな社会的な電力消費の形態というのがつくり出されるようになって
電力化率が伸びてきたと言っていいと思います。

原子力は負荷側、つまり消費側の電力消費の変化に対応するために
原発自体で出力を調整することができません。
たとえば100万キロワットの原子力発電所なら、100万キロワットの出力で昼も夜も
定期検査や事故によって休んでいるとき以外は、一年中運転せざるをえないのです。
しかもピーク時に合わせて電力を維持するわけですから
どうしても電力過剰になってきます。
そこで夜間電力が過剰になって、その過剰分を安く売るという事態が生じるわけです。
夜間電力が安く買えるのは、消費者からすれば一見いいように思えますが
じつはこれは、余剰電力の捨て場所を作っていることに通じるわけです。
原発による電力が増えてくれば、余剰電力の消費を促すというかたちで
どうしても電力消費全体を過剰に促進させる方向にいかざるをえないのです。
これはもちろん、地球温暖化防止という全体の流れにとってはマイナスとなります。
さらに、この一形態なのですが、余剰電力を消費する手段として
揚水発電所というのが非常に多く建てられるようになりました。

火力発電所が出す廃棄物としての二酸化炭素と比べて
原子力発電所が出す廃棄物であるところの放射性物質
これは単純に放射能と言わせてもらいますが
放射能はいったいどうなのかという問題が出てきます。
たとえば一グラムの二酸化炭素を出すのと
一ベクレルの放射能を出すのはどちらが問題なのかという議論も
環境上はきちっとやらなければ
どちらがクリーンだという話にはならないわけです。
ここのところが、通産省や電力会社が主張する神話のもっともおかしな点なのです。

彼らは二酸化炭素については規制しなくてはいけないと言いながら
放射能についてはまったく何も言いません。
放射能はすべて安全に閉じ込められていて
なんの問題もないということを暗黙の前提として話をします。
そのため二酸化炭素だけが前面に出されて
原発の出す放射能はマイナスのものとして扱われていないわけです。

ゼネコン中心の公共事業による開発といった方向でものを考えている日本政府
これは通産省も国土交通省も、政府全体がそうなんでしょうけれども
そういうなかでは、どうしても巨大開発志向が好まれます。
したがって原発が好まれるというのが真相で、そのために利用されているのが
この「原子力はクリーンなエネルギー」という神話です。


〜 リサイクルできるという神話 〜

使用済み核燃料を化学処理する
つまり再処理してプルトニウムを取り出す過程があります。
そのプルトニウムをウランともう一回混ぜてやって酸化物の形にしたものを
混合酸化物燃料、英語でMOXと言います。
このMOXという形の燃料にして、ふつうの商業炉、つまり軽水炉で燃やす計画を
日本でつくられた一種のジャパンイングリッシュですけれども
プルサーマルと呼んでいます。
(2011年3月の時点で開始したのは
玄海三号炉、伊方三号炉、高浜三号炉、福島第一原発三号炉である)

高速増殖炉神話であるとか、あるいはプルトニウム神話という
神話の最たるものが崩れた段階で、この新たな神話は出現してきました。
前章のクリーンエネルギー神話と並んで
「環境に優しい原子力」を打ち出す必要が出てきた原子力産業や日本政府が
「リサイクル」という言葉に飛びついてこれを神話化しようとしたわけです。

「MOX燃料の軽水炉利用の社会的影響に関する包括的評価」
私たちがこの研究をやって明らかにした一つの重要な点は
プルトニウムを取り出して燃やすことは、安全性の問題は別にしても
燃料資源上のメリットはまったくないということです。
とくに、リサイクルによって環境の負荷を少なくするといったメリットは
まったくありません。

プルトニウムをあちこちに動かし
いろいろな工程を経てプルサーマルという名の再利用を行うと
その過程でいろいろな廃棄物が出てくるうえに
そうやって燃やしたプルサーマル自体が結局
最終的には使用済みのMOX燃料というゴミを増やすことになるのです。
ゴミの増大について、私たちはこの国際研究のなかで
かなりくわしく分析してデータを出しました。

結局のところ、いちばん問題になる高レベル廃棄物は
リサイクル、つまりMOX燃料を使ったプルサーマルをやったほうが
ウランを一回だけ使ってやめてしまうのに比べて
発電される電力1キロワット時当たり出てくる放射能の量は多くなります。
リサイクルによってかえってゴミが増えてしまうわけですから
とてもリサイクルとは言えません。
さらにもう一つ、より深刻な問題は、単純にゴミが増えることよりも
行程中で環境中に放出される放射能は非常に多くなってしまうことです。

再処理の工程を見ますと
再処理工場で使用済み燃料を化学処理をするときに
たいへん多くの放射性物質が環境中に放出されています。

再処理施設が原発よりもよほど環境への放射能放出が大きいことを考えると
再処理を経由することで成り立っている「核燃料のリサイクル」は
とてもではないけれど環境に優しいとは言えません。
それどころか、かえって環境に大きな害をもたらす施設であると断言できます。
さらに、それの関わる人たちの被曝とか、残される放射性廃棄物の量からしても
環境に優しい施設ではないことがわかります。
私たちの研究によっても、それははっきりしたと言えるでしょう。

プルトニウム分離とMOXの軽水炉利用という路線のデメリットは
核燃料の直接処分の選択肢に比べて圧倒的であり
それは、産業としての面、経済性、安全保障、安全性、廃棄物管理
そして社会的な影響のすべてにわたって言える。
換言すれば、プルトニウム分離の継続とMOXの軽水炉利用の推進には
今や何の合理的な理由もなく、社会的な利点も見いだすことができない。

日本政府のこれまでの方針は
使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し
残りの放射性廃棄物はガラスといっしょに固め
一定期間放射能を冷却するために貯蔵をして
最終的には地層処分をするというものです。
しかし、この方針を実行して再処理を続けると
プルトニウムがどんどん出てきてしまいます。

今まではリサイクル、再処理を義務づけてきたわけですが
これだとプルトニウムが余ってしまってしようがないから
最終的にはどうするかははっきりしないけれども
暫定的には貯蔵しておこうというのです。
今までの法体系とか、電力会社のシステムのなかでは
使用済み燃料は一時的に再処理するまでの間
原発の敷地内の使用済み燃料プールの中に置いておくということにしてあったけれど
それ以上のことは考えていなかったわけです。

使用済み燃料中間貯蔵施設を
リサイクル燃料中間貯蔵施設と言ってるわけで
いじましいと言いますか、何と言いますか
笑っちゃうにはあまりにも情けない話です。


〜 日本の原子力技術は優秀という神話 〜

たとえば原子炉の緊急停止ということでは
日本の原子炉はトラブルが起こって緊急停止をする確立
言い換えれば年間のトラブル発生率は
1年当たり1原子炉について、0,3回とか0,4回くらいしかありません。
これは、そういうのがだいたい年一回程度あるような
諸外国の実情から比べると非常に少ないので
日本の原子力技術は優秀であると、ある時期にはたしかに言われたことがあります。
しかしさまざまなデータを比較してみると
日本の原子炉が海外の原子炉に比べてとくに稼働率が高く
運転継続時間が長いわけでもないし
事故やトラブルの発生率が非常に低いということでもありません。
原子力の先進国であるアメリカ、フランス、イギリス、ドイツ、カナダなどと比べても
似たようなものだというのが各種のデータを比較したうえでの私の印象です。

ところが1990年代に入って「もんじゅ」の事故があり
東海の再処理工場のアスファルト固化施設事故があり
そしてJOCの事故がありというように
すっかり日本の原子力技術にミソがついた感じです。
近頃では、だいたい日本の技術は本当に優秀だったのか
優秀だったとすれば
なぜ最近は日本の技術がひんぱんに破綻をきたすようになったのか
と海外のジャーナリストから私が質問を受けるような事態が発生しています。

最近では新幹線のトンネルのコンクリートが剥がれ落ちる事故であるとか
一連のロケットの打ち上げ失敗事故などによって
この神話は崩れ去った観があります。

西洋に比べれば底の浅い技術基盤しかなかったわけです。
ただ、日本の原子力の技術で幸いだったのは
日本が明らかに後進国であったということです。
軽水炉に関して言えば、おもにアメリカの技術に学んで
それをそのまますべて導入してきました。
アメリカで起ったいろいろなトラブルは日本でも起こったわけですから
アメリカがトラブルをフィクシングする、つまり
そのトラブルのおさめ方というのもだいたい見習って
アメリカから直輸入してここまできました。
少なくとも軽水炉の技術に関しては、アメリカでの技術の成熟を商業技術として見習って
そのまま導入して日本に持ち込んできたことで助かってきたわけですから
日本独自の技術開発の優秀さはありませんでした。
本当の意味での基盤が確立して
日本の原子力産業が確固たるものとして発展してきたわけではなかったということです。
それが一連の事故のなかで脆さをさらけ出したことの原因になっていると思います。

日本のなかで破綻した原子力開発技術の一つに「むつ」という原子力船があります。
これも造って早々に中性子線漏れの事故を起こして以降
トラブル続きで、ついには日本の原子力計画としては
珍しく廃船という結論が出ました。母港を変えるようなことまでして
非常にお金をかけた原子力船であったにもかかわらず、丸々廃船にしたわけです。
廃船にして終ったという、きわめて特異な原子力開発です。

さらに日本の原子力開発を見ていくと
新型転換炉の路線が完全に潰れたという歴史があります。
新型転換炉というのは
軽水炉で培った日本の技術を応用して動燃が独自に開発した
重水減速軽水冷却型の原子炉です。
その原型炉の「ふげん」という原子炉が敦賀で動いていますが
これは非常にトラブルの多い原子炉です。
「ふげん」はもう20年以上動いていますが
この20年の実績があまりに悪いものですから
2003年には廃炉になることが決まっています。

日本独自の開発はだいたい動燃がやるわけですが
その動燃が独自で開発しようとしている高速増殖炉「もんじゅ」も
原型炉の段階でナトリウム漏れの大火災事故を起してからミソがつきました。

動燃がもう一つ開発してきた技術に、ウランの濃縮技術があります。
日本型の遠心分離カスケードというシステムを使って
原発用の濃縮ウランを作るという技術です。
これは岡山県の人形峠にある動燃の原型プラントで実験をして
その技術を用いて青森県六ケ所村に日本原燃が
商業規模の大きなプラントを建てました。
ところが、このプラントは七つの生産ラインのうち四つまでが故障して止まるというように
非常に故障率が高く、修理に手間も費用もかかっているのが現状です。
ですから、六ヶ所村にある日本原燃のプラントは赤字というか
単価にするとものすごく高いウランを生産しています。

こう見てくると、日本独自の原子力開発
そのおもなものはほとんど動燃がやってきやわけですが
すべて破綻をきたして、うまくいっていないことが歴然としています。
極端ですが、何もやらない方がよかったのではないかと言いたくなります。
それだけのお金があるならほかのことをやればよかったのにと思えるほど
動燃の歴史というのは破綻の歴史であるし
日本独自の技術の向上に、少しも役立った面がありません。
ある部分では日本の技術をパイオニア的に進めたところはあるかもしれないけれど
日本の技術の底辺をきちっとさせるという意味では
原子力開発というのは
むしろマイナスにしか働かなかったのではないかと思います。

軽水炉の場合には積み木を積み重ねるのではなく
アメリカを中心とした出来あいの技術や事故対策マニュアルみたいなものを
そのまま買ってきて、それに学びながらやってきたから
ここまでなんとか、いろいろ事故はあったけれども
スリーマイル島とかチェルノブイリ級のものにならずにすんできたわけです。
(2011年3月11日 福島原発事故)

実際に操業する側もそうだし、それを監督する側もそうだし
本当に日本の原子力技術を、私はお寒いかぎりだと思います。
ロケット技術は私の専門分野ではないので、細かいことは言えませんが
ここから見ると、やはり同じようなことが言えるのではないかと思います。
国際的な競争のなかでは
これからますます差がついていくのではないかと思えてしかたがありません。
これを放っておくと
とくにアメリカなどと比べると大きな差がついていくのではないかと思います。



〜 最後に 〜

これまでに私は、九つの神話について述べてきました。
今、神話化されてきた諸々の事柄を全部きれいに白紙に戻し
根本に立ち戻って、一から点検し直す必要を痛感しています。
この時期に出直すということをやらないと、原子力問題だけではなくて
国際的な競争とか、もっとはっきり言えばアメリカの支配力みたいなものに
いよいよ坑しえないような状況に日本は追い込まれていくのではないでしょうか。
それは、今、原子力の分野で見えてきていることですけれども
原子力だけではなく、日本全体として当てはまるようなことではないかという気がします。

(高木仁三郎)






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