< 大光寺資料館 T >


大光禅寺は宮崎県那珂郡佐土原町上田島にあり
建武二年(1335年)、領主田島氏が檀那となり
岳翁長甫を開山に迎えて開創されたと伝えられています。




<大光禅寺の山門>
山号「佛日山」の額を掲げる山門には
階上に梵鐘が吊るされ鐘楼門となっています。




<自国宝殿>
文殊堂あるいは仏殿、大殿とも呼ばれてきました。
今は、壇上に開山岳翁長甫像が安置されています。
坐禅堂でもあります。




<文殊菩薩像>
像高52,2センチ 玉眼 漆箔
文殊菩薩は右手に剣、左手に経巻を持って獅子背上の蓮華座に坐しています。




<獅子背上の蓮台に乗る文殊像>
獅子頭高さ 100,5センチ




<文殊菩薩像底朱漆銘>
運慶五代之孫/法眼康俊之作/貞和四年八月




<獅子背上の蓮華台心木墨書銘>
干時元禄四年辛末四月二十五日
当時四十世住臨済正宗三十七世正法山第一座 一道




<木造騎獅文殊菩薩及び侍者像>
右から”仏陀波利””善財童子””最勝老人””優填王”
の四侍者を伴って海を渡り、中国五台山へ向かう渡海文殊の群像です。
作者は運慶五代の孫と名乗る仏師「康俊」であることが
文殊菩薩像の像底に記されていますが
仏陀波利像は「湛秀」という仏師が担当しています。




<誕生釈迦像>
金銅製、像高8,8センチ 総高11,3センチ 奈良時代
右手を額の上にあげ、長い衣裳をつけて蓮台に立つ古式な誕生仏です。
せり出した蓮肉や蓮華の花弁が十弁というのも古式です。




<木造地蔵菩薩半跏像>
坐高42,4センチ 像総高59,9センチ 南北朝時代
右膝を立て、右手を頬に近づけ、左足を踏みおろす半跏の地蔵菩薩です。
やさしい表情と繊細な衣文など、京仏師慶派中枢仏師の制作と考えられています。




<木造十一面観音像>
像高68,4センチ 室町時代
本堂本尊です。頭上に十一面をいただき、左手に蓮華を持っています。
ふっくらとしたお顔の表情や衣文の様子は中世後半の制作を示しています。




<木造韋駄天像>
像高67,4センチ 玉眼 漆箔彩色 南北朝時代
身に甲胄を着け、合掌した両腕に宝棒を捧げる形です。
仏法や伽藍を守護する役割の尊像で
禅宗寺院の庫裏に安置されているのがよくみられます。




<木造大黒天像>
総高22,2センチ 江戸時代
わが国では大黒天は糧食の神で、食堂に祀られ
また、財福神として信仰されてきました。
俵の底に「平兼次作」の刻字がみられます。




<木造鋪傅大士及び両脇侍像>
三台躯 玉眼 色彩
傅大士 像高110,2センチ
脇侍像高 (左)64,7センチ (右)64,4センチ 江戸時代
傅大士(497〜569)は、回転する八角輪蔵を考案しました。
そのため後世経蔵に傅大士と普建、普成の二子を安置するようになりました。
この三尊は古月和尚の代に、光雲という大仏師が彫刻したと伝えています。


< 大光寺資料館 U >




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