< 童 謡(わざうた)>


「わらべうた」の漢語である「童謡」ということばは
上代歌謡の場合、今日における童謡という概念とは著しく異なり
一般に人事を諷刺する寓意的、比喩的な性格をもつ歌謡を意味した。

「童謡」の文字には大抵「ワザウタ」又は「ワザウタシテ」の古訓が施されているので
古来、「ワザウタ」の「ワザ」は「ワザハイ(禍)」または
「カミワザ・カムワザ(神態)」の「ワザ」或いは「シワザ(風俗)」「ワザヲギ(俳優)」
などの「ワザ」と同じく、所作・芸能等の意であるなどの説が行われている。
しかし、「ワザウタ」が何らかのコトを達成するための「うた」であり
行為をもつワザのある「うた」であるとする点においては衆説一致するので
大体、「コトワザ(諺)」が世間に言いふるされているコトバを意味するのに対し
「ワザウタ」は「うた」によって行うワザ(ウタワザ)の一種ぐらいの意に
考えるのが最も穩当であろう。
むろん初めは、宣長の如く
「許刀(こと)は言、和邪(わぎ)は童謡(ワザウタ)、禍、俳優(ワザヲギ)などの
和邪と同じくて今の世にも神又は死人の霊などの祟るを物の和邪と云ふ是なり。
・・・かくて何事にまれ人の口を仮りて神の歌はせたまふを和邪歌(わざうた)と云ひ
云はせたまふを言和邪(ことわざ)とは言ふなり」

「童謡(ワザウタ)とは、時の異変を善悪ともに神の謡はしめ給ふを云ふ」(守部)
の如く、「神意」とか「わざはひ」の意を特に強調する説も見られたが
用字法からは「童謡」の他に「謡歌」を「ワザウタ」と訓じた例もあるので
むしろ「童謡」の本義は、単に「謡」の字を以て代表させ得るとする見解に従いたい。
もと楽器を用いず肉声だけで歌う「ウタ」を意味し
巷間に歌われる俚謡・俗謡の類を指したものである。

政治的目的などを始め、何かの目的のために児童に歌わせ
巷間に流行させたものが、即ち本来の「童謡」であったといえる。

わが国の「童謡」は、いわゆる「時人の歌」「巷謡」などの概念に近く
「童」も児童というよりか、むしろ庶民の事をいう語と解すべきである。
従ってまた、厳密にいえば、上代には直接「童謡」の文字は用いられないが
この類に数うべき歌謡が、他にも沢山存在したといってよい。
(浅野健二)


<舒明天皇>

時の人は童謡(わざうた)に歌っていった。
ウネビヤマ コダチウスケド タノカミモ
ケツノワクコノ コモラセリケム
(畝傍山は木立が少ないのに、それをも頼みに思って、毛津に若子は籠っておられたのだろうか)


<皇極天皇>

蘇我臣入鹿は独断で聖徳太子の王たち(山背大兄王)を廃して
古人大兄を天皇にしようと企てた。その頃に童謡(わざうた)がはやった。
イワノへ二 コサルコメヤク コメダニモ
タゲテトホラセ カマシシノヲヂ
(岩の上で小猿が米を焼く。米だけでも食べていらっしゃい山羊のおじさんよ)

蘇我臣入鹿は、上宮の王たちの威名が天下に上ることを忌んで
臣下の分を越え勝手に自分を君主になぞらえることを図った。
この月、茨田の水は澄んでもとに返った。


<皇極天皇>

国内の巫女たちが、木の枝葉を折りとって木綿をかけ
大臣が橋を渡る時をうかがい、競って神がかったお告げのことばをのべた。
その巫女が非常に多かったので、よく聞き分けられなかった。
老人たちは、「時勢が変ろうとする前兆だ」といった。
この頃に童謡(わざうた)が三首はやった。
ハロバロニ コトゾキコユル シマノヤブハラ
(かすかに話し声が聞こえてくる、島の藪原で)
ヲチカタノ アサヌノキジシ トヨモサズ
ワレハネシカド ホトゾトヨモス
(遠方の浅野の雉は声を立てて鳴く。自分は声は立てないでこっそり寝たのに
人が見つけてやかましく騒ぎたてる)
ヲバヤシニ ワレヲヒキイレテ セシヒトノ
オモテモシラズ イヘモシラズモ
(林の中に私を誘いこんで、犯した人の顔も知らない。家も知らない)


<斉明天皇>

百済のために新羅を討とうと思われ、駿河国に勅して船を造らせられた。
造り終って続麻郊(おみの)にひいてきたとき、その船は夜中に故もなく
艫と舳とが入れ替わっていた。人々は戦ったら敗れることをさとった。
科野国から言ってきた。
「蠅の大群が西に向かって、巨坂を飛び越えていきました。
大きさは十人で取り囲んだ程で、高さは大空に達していました」と。
これは救援郡が破れるというしるしだろうとさとった。
この頃に童謡(わざうた)がはやった。
マヒラク ツノクレツレ オノヘタヲ
ラフクノリカリガ ミワタトノリカミ
ヲノヘタヲ ラフクノリカリガ カウシトウ
ヨトミ ヲノヘタヲ ラフクノリカリガ
(背中の平たい男が作った山の上の田を、雁どもがやってきて食う。
天皇の御狩りがおろそかだから雁が食うのだ。御命令が弱いから雁どもが食うのだ)


<天智天皇>

暁に法隆寺に出火があった。一舎も残らず焼けた。
大雨が降り雷鳴が響いた。童謡(わざうた)がはやった。
ウチハシノ ツメノアソビニ イデマセコ
タマデノイヘノ ヤヘコノトジ
イデマシノ クイハアラジゾ イデマセコ
タマデノイヘノ ヤヘコノトジ
(板を渡した仮橋のたもとの遊びに出ておいで、玉手の家の八重子さん
おいでになっても悔いはありませんよ。出ていらっしゃい。玉手の家の八重子さん)


<天智天皇>

佐平余自信・沙宅紹明に大綿下を授けられた。
鬼室集斯に小錦下を授け
達率谷那晋首・木素貴子・憶礼福留・答本春初
本日比賛波羅金羅金須・鬼室集信に大山下を授けた。
小山上を達率徳頂上・吉大尚・許率母・角福牟に授けた。
小山下を他の達率たちに五十余人に授けた。
童謡(わざうた)がはやった。
タチバナハ オニガエダエダ ナレレドモ
タマニヌクトキ オナジヲニヌク
(橘の実は、それぞれ異なった枝になっているが
玉として緒に通す時は、みんな一本の緒に通される)


<天智天皇>

天皇(天智)は近江宮で崩御された。十一日、新宮で殯した。
この時つぎのような童謡(わざうた)がはやった。
ミエシヌノ エシヌノアユ アユコソハ
シマヘモエキ エクルシイヱ ナギノモト
セリノモト アレハクルシヱ
(み吉野の鮎こそは、島の辺りにいるのもよかろうが
私はああ苦しい、水葱の下、芹の下にいて、ああ苦しい)
オミノコノ ヤヘノヒモトク ヒトヘダニ
イマダトカネバ ミコノヒモトク
(臣下の私が、自分の紐を一重すらも解かないのに
御子は御自分の紐をすっかりお解きになっている)
アカゴマノ イユキハバカル マクズハラ
ナニノツテコト タダニシエケム
(赤駒が行きなやむ葛の原、そのようにまだるこい伝言などなされずに
直接におっしゃればよいのに)

天智天皇崩御後の、皇位継承の争いを諷刺したのも。
一は吉野に入った大海人皇子の苦しみ。
二は吉野方の戦争準備の成ったこと。
三は近江方を吉野の直接の交渉をすすめるもの。

(「日本書紀」より)




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